トカゲ達 [生態系への配慮]
草を刈ろうとすると、こどもらしいトカゲが抗議に出てくる。今日はちょっと立派な大人。
こんなことで、この姿。それでも、梅雨の蝶が飛ぶときは、もう少しござっぱりしようか。
思案中。
今年はきゅうりを二つ、ネットも備え万全。今まで曲がったキュウリ,デカきゅうり。この写真は最高の出来
向日葵を今年も植えた。台風を乗り越えられるか心配
ふるさとからの大井川用水がわきを流れている。
今はカエルの合唱、夏にはせみ、秋には虫の声。 トカゲはブログに登場させるのが難しい。
梅雨の晴れ間に草刈りをしてみた。トカゲが二匹さっそく抗議に
で、こんな形に収まる。トカゲとの共存
父と母が植えたもちのきが大きくなった。ほたるぶくろが今年も咲いている
昨夜の雨の影響を見に水路に下りると、発見。成長しすぎたきゅうり
自然はこれだから面白いのかなー
こんなことで、この姿。それでも、梅雨の蝶が飛ぶときは、もう少しござっぱりしようか。
思案中。
今年はきゅうりを二つ、ネットも備え万全。今まで曲がったキュウリ,デカきゅうり。この写真は最高の出来
向日葵を今年も植えた。台風を乗り越えられるか心配
ふるさとからの大井川用水がわきを流れている。
今はカエルの合唱、夏にはせみ、秋には虫の声。 トカゲはブログに登場させるのが難しい。
梅雨の晴れ間に草刈りをしてみた。トカゲが二匹さっそく抗議に
で、こんな形に収まる。トカゲとの共存
父と母が植えたもちのきが大きくなった。ほたるぶくろが今年も咲いている
昨夜の雨の影響を見に水路に下りると、発見。成長しすぎたきゅうり
自然はこれだから面白いのかなー
幸せな一日 [生態系への配慮]
一日の締め 我家からの夕日
夕焼けは季語 夕日は違うそうです どこからも見えないからが理由か
元旦に朝日 今年の始まり
夕日は一日の終わり その積み重ねが一生
昭和61年に新築 筑30年で全面リホーム
リホームの際庭木もリホーム なんと夕日が見える
夕日を見るのが楽しみになってきた。今日の締めはできるのか
防災用に井戸を掘る
ふるさとに繋がる水
大井川の塩郷堰堤で止められた水が笹間川ダムに貯められ、山のトンネルを通り、川口へ。
そこから大井川用水で、自宅前水路へ
夕焼けは季語 夕日は違うそうです どこからも見えないからが理由か
元旦に朝日 今年の始まり
夕日は一日の終わり その積み重ねが一生
昭和61年に新築 筑30年で全面リホーム
リホームの際庭木もリホーム なんと夕日が見える
夕日を見るのが楽しみになってきた。今日の締めはできるのか
防災用に井戸を掘る
ふるさとに繋がる水
大井川の塩郷堰堤で止められた水が笹間川ダムに貯められ、山のトンネルを通り、川口へ。
そこから大井川用水で、自宅前水路へ
野生の跡 [生態系への配慮]
この痕跡が何を意味するのか?
ともかく、獣。 人間の世界と獣の世界の「堺」が里に下りてきたか。
鹿・猿・猪・・・熊。 ふるさとの山には仕事であれ、ハイキングであれ、分け入る人はほとんどいない。
中部電力の皆さんが高圧線管理のため、歩くのみ。すでに、この状態が30年以上又は50年以上続いているかも。
もちのきハウスは、65年前林地から、製材所になり20年ぐらい続く。そのあと、この20年ぐらい、たまに訪れるのみ。
野生の世界に入ったのか。
ともかく、獣。 人間の世界と獣の世界の「堺」が里に下りてきたか。
鹿・猿・猪・・・熊。 ふるさとの山には仕事であれ、ハイキングであれ、分け入る人はほとんどいない。
中部電力の皆さんが高圧線管理のため、歩くのみ。すでに、この状態が30年以上又は50年以上続いているかも。
もちのきハウスは、65年前林地から、製材所になり20年ぐらい続く。そのあと、この20年ぐらい、たまに訪れるのみ。
野生の世界に入ったのか。
発見・発見! [生態系への配慮]
6月5日、愛犬小太郎と散歩。
シオカラトンボが一匹。雁鴨の若夫婦を田んぼに発見。特に、雁鴨には、小太郎じっと跡を追う。
大井川では、平成9年の河川法の改正を受けて、人とそこに住む生き物にも快適な川を取り戻していく、宣言がなされている。
その水を活用している、大井川用水の受益地の田んぼでは、その田んぼとしての活用が風前のともしびとなっている。
知識と若者の出番。やることは決まっているが、実現する知恵が無い。
地域の蛍の復活活動に参加する中、分かってきたことがある。
蛍がいなくなってきたのは、水路がコンクリートの三面張りになったからではなく、
人間にとってのみ、きれいに感ずる水路の掃除の仕方。
水路際の雑草には重要な役割があった。昆虫を水路に運び、水路に住む生き物に食糧供給する役目。
安全、安心の考えも、人間にとってのみ快適、それも短期的なのに。
草が生えてくると言って、やたらコンクリートにした町造り
少しの氾濫の隙間も持たない護岸工事
快適な空間、人にとってだけでなく、いろいろな生き物のバランス。このために人の知恵は使うべきか。
このための、経済システム創りにスタート それは、水のつながりの回復では?
シオカラトンボが一匹。雁鴨の若夫婦を田んぼに発見。特に、雁鴨には、小太郎じっと跡を追う。
大井川では、平成9年の河川法の改正を受けて、人とそこに住む生き物にも快適な川を取り戻していく、宣言がなされている。
その水を活用している、大井川用水の受益地の田んぼでは、その田んぼとしての活用が風前のともしびとなっている。
知識と若者の出番。やることは決まっているが、実現する知恵が無い。
地域の蛍の復活活動に参加する中、分かってきたことがある。
蛍がいなくなってきたのは、水路がコンクリートの三面張りになったからではなく、
人間にとってのみ、きれいに感ずる水路の掃除の仕方。
水路際の雑草には重要な役割があった。昆虫を水路に運び、水路に住む生き物に食糧供給する役目。
安全、安心の考えも、人間にとってのみ快適、それも短期的なのに。
草が生えてくると言って、やたらコンクリートにした町造り
少しの氾濫の隙間も持たない護岸工事
快適な空間、人にとってだけでなく、いろいろな生き物のバランス。このために人の知恵は使うべきか。
このための、経済システム創りにスタート それは、水のつながりの回復では?
清流回復への強い願い [生態系への配慮]
トンビの「まゆ」ちゃんは、今日は、ねぐら付近の鵜山の七曲り上空を気持ちよさそうに飛んでいる。昨日、「まるお」さんから聞いた話が妙に気になっている。
鵜山の七曲り出口笹間渡元発電所上空を旋回。三角の茶畑らしき所発電所跡地が見える。
数千年単位の地層と赤石山地地形の動きから形成された、はめ込み蛇行の景勝・鵜山の七曲りだ。
上空から見ると鳥の鵜の姿に似ているところから鵜山の七曲りと称するとか。
トンビのあゆちゃんは、大井川の流れに沿って、鵜山の七曲りを右へ、左へ、戻ったりして、上流へ行ってみることにした。
何か、昔のことがわかりそうなものを発見! 急降下してみた。
県道77号線、川根寸又峡線沿いにある空間が清流公園と言う名前だ。トンビの「あゆ」ちゃんのおばあさんによれば、塩郷ダムの下流の鵜山の七曲りには、昭和36年以降30年近く川に水が流れなかった。
そこで、流域の川根3町で結成した川根地域振興協議会が協力して、大井川に水を取り戻そうと、清流回復運動をやった。そして、この公園は清流が戻ったことを記念し造られた記念公園だ。
「まるお」さんによると、この公園は小さいが、川根の清流回復運動が河川景観・動植物の維持を目的に一定の流水を確保する発電ガイドライン(S63)制定や河川環境の整備と保全を加える平成9年の河川法の改正に果たし、全国の川にECOの流れをつくった貢献は大きいとのこと。
この川根の運動が川の役割に対する考えに変化を起こし、川の中にマラソンコースを造ることを可能にした。
尽力された当時の斉藤静岡県知事が読んだ短歌、「桜花 5トンの流れ 照り映えて 大いなる川 よみがえりたり」で、その石碑が協議会によってたてられた。この短歌は、知事にとっても地域協議会の皆様にとっても、考え深い記念碑であると思う。
それは、県にとっても一筋縄では解決できず、水が流れなくなった14年目の昭和50年に発電会社に要請したが断られた。それは、この問題は発電用水利権の問題で、塩郷付近を流れる水は、発電用に専用に使うべくすでに許可済みであり、その権利は半永久的と言われている。巨額な民間電源開発投資の上に成り立ち、財産権として、行政処分による制限は慎重であるべきと言われていた。
昭和63年8月3日、三川根の代表者150名、陳情書署名者1万1千828人で、全住民の67%、61年から運動開始3年目。
その時の、知事の答え・・・この30年の歴史の重みを今、全身全霊で受け止めまして、改めて政治とは何かと言うことを深く反省しております。過去は過去、しかし、現実に、私たちはここに、生きとし生けるものがいかに幸福になるかと言うことを一筋に考えておるわけであります。63年にはいよいよ30年待ちに待った契約更改の時が来ます。特に私は、県民の代表として、自分の政治生命を懸けてでも護らなきゃならんということの使命は、十分心得ています。権利とか、契約とか問題があろうかと思いますけれども、必ず実現できるものと信じ、実現することを敢えてお誓いしてもよろしいでしょうか。何とか,かつての大井川に、単位水を返すと言うのではなく、素晴らしい自然に戻すこと、しかも災害が無く、自然本来の姿を頭に描きながら、邁進したいと思います。どうぞ、私は、力はありませんけれど、皆さんの応援の力を支えにして、目の前に清い水が流れるまで、真実にがんばらせていただきたいと思います。
平成元年4月24日、県と電力会社の間でついに覚書の調印。塩郷ダムで3/20~12/5毎秒5トン、12/6~319毎秒3トンの放流決定。
「まるお」さんによれば、時代の課題を解決しなければならない国、県、電力会社のつらい努力と、流域の川根3町の住民の清流回復への強い願いにより、ECOへの偉大な一歩が切れたものと深く感謝とお礼を申し上げたい。
清流回復への強い願い
昭和36年以降水がほとんど流れなくなり、一部試験放流が行われた昭和53年から60年平均で、水が流れなかった日、169日
まるおさんのふるさとでは、36年すでに飲み水に影響が出て、川向こうからもらい水、異常渇水期には、家山、身成地区でも、飲み水が十分供給できなくなり、コップ一杯の水をためるのに30秒以上かかる状態になった。
平成元年(1989)2月14日、川根三町の住民の740名が参加、大井川環境改善総決起大会、家山河川敷グランドでの様子の写真です。取り戻そう、大井川の水と自然と、水の無い川をデモ行進しました。
前掲の写真のデモ行進が行われている河原には、36年以前には写真のようなこどもにとって怖いほどの水が大井川には流れていました。当時,橋が無く、渡船で、小学校時代タンポポ劇団を鑑賞に行きました。
鵜山の七曲り出口笹間渡元発電所上空を旋回。三角の茶畑らしき所発電所跡地が見える。
数千年単位の地層と赤石山地地形の動きから形成された、はめ込み蛇行の景勝・鵜山の七曲りだ。
上空から見ると鳥の鵜の姿に似ているところから鵜山の七曲りと称するとか。
トンビのあゆちゃんは、大井川の流れに沿って、鵜山の七曲りを右へ、左へ、戻ったりして、上流へ行ってみることにした。
何か、昔のことがわかりそうなものを発見! 急降下してみた。
県道77号線、川根寸又峡線沿いにある空間が清流公園と言う名前だ。トンビの「あゆ」ちゃんのおばあさんによれば、塩郷ダムの下流の鵜山の七曲りには、昭和36年以降30年近く川に水が流れなかった。
そこで、流域の川根3町で結成した川根地域振興協議会が協力して、大井川に水を取り戻そうと、清流回復運動をやった。そして、この公園は清流が戻ったことを記念し造られた記念公園だ。
「まるお」さんによると、この公園は小さいが、川根の清流回復運動が河川景観・動植物の維持を目的に一定の流水を確保する発電ガイドライン(S63)制定や河川環境の整備と保全を加える平成9年の河川法の改正に果たし、全国の川にECOの流れをつくった貢献は大きいとのこと。
この川根の運動が川の役割に対する考えに変化を起こし、川の中にマラソンコースを造ることを可能にした。
尽力された当時の斉藤静岡県知事が読んだ短歌、「桜花 5トンの流れ 照り映えて 大いなる川 よみがえりたり」で、その石碑が協議会によってたてられた。この短歌は、知事にとっても地域協議会の皆様にとっても、考え深い記念碑であると思う。
それは、県にとっても一筋縄では解決できず、水が流れなくなった14年目の昭和50年に発電会社に要請したが断られた。それは、この問題は発電用水利権の問題で、塩郷付近を流れる水は、発電用に専用に使うべくすでに許可済みであり、その権利は半永久的と言われている。巨額な民間電源開発投資の上に成り立ち、財産権として、行政処分による制限は慎重であるべきと言われていた。
昭和63年8月3日、三川根の代表者150名、陳情書署名者1万1千828人で、全住民の67%、61年から運動開始3年目。
その時の、知事の答え・・・この30年の歴史の重みを今、全身全霊で受け止めまして、改めて政治とは何かと言うことを深く反省しております。過去は過去、しかし、現実に、私たちはここに、生きとし生けるものがいかに幸福になるかと言うことを一筋に考えておるわけであります。63年にはいよいよ30年待ちに待った契約更改の時が来ます。特に私は、県民の代表として、自分の政治生命を懸けてでも護らなきゃならんということの使命は、十分心得ています。権利とか、契約とか問題があろうかと思いますけれども、必ず実現できるものと信じ、実現することを敢えてお誓いしてもよろしいでしょうか。何とか,かつての大井川に、単位水を返すと言うのではなく、素晴らしい自然に戻すこと、しかも災害が無く、自然本来の姿を頭に描きながら、邁進したいと思います。どうぞ、私は、力はありませんけれど、皆さんの応援の力を支えにして、目の前に清い水が流れるまで、真実にがんばらせていただきたいと思います。
平成元年4月24日、県と電力会社の間でついに覚書の調印。塩郷ダムで3/20~12/5毎秒5トン、12/6~319毎秒3トンの放流決定。
「まるお」さんによれば、時代の課題を解決しなければならない国、県、電力会社のつらい努力と、流域の川根3町の住民の清流回復への強い願いにより、ECOへの偉大な一歩が切れたものと深く感謝とお礼を申し上げたい。
清流回復への強い願い
昭和36年以降水がほとんど流れなくなり、一部試験放流が行われた昭和53年から60年平均で、水が流れなかった日、169日
まるおさんのふるさとでは、36年すでに飲み水に影響が出て、川向こうからもらい水、異常渇水期には、家山、身成地区でも、飲み水が十分供給できなくなり、コップ一杯の水をためるのに30秒以上かかる状態になった。
平成元年(1989)2月14日、川根三町の住民の740名が参加、大井川環境改善総決起大会、家山河川敷グランドでの様子の写真です。取り戻そう、大井川の水と自然と、水の無い川をデモ行進しました。
前掲の写真のデモ行進が行われている河原には、36年以前には写真のようなこどもにとって怖いほどの水が大井川には流れていました。当時,橋が無く、渡船で、小学校時代タンポポ劇団を鑑賞に行きました。