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最後の光? [世紀の大事業]

7月6日NHK Eテレ 午後2時TVシンポジウム どう築く人と森の未来

林業活性化の切り札は?

 この中でも語られていたが、意外と、景気も良くなかったことから当然かもしれないが、

   林業、山村の「知」の蓄えは他の産業に比べて、非常に少ないのではと思う。

   復興特別所得税に代わり、2024年の森林環境税施行     
    
            2024年までに、山村、林業についての知の集積を!

    都会の住む人も人ごとではありません。
    もともと、日本に住んできた人の心を支える自然観も確保、保護して継続していかないと

共存 お金を請求しないが、払ってくれない仲間たち どう付き合うか  
  
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綺麗な小川の水はいつまで流れているのか

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雑草魂 [世紀の大事業]

雑草魂

 甲子園の野球では、秋田の金足農業が決勝に残り、にわかに雑草だましいが注目

 我家の庭でも、勝手に生きる朝顔が私の植えた朝顔より高いところで咲いている。

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今年の雑草一番は日日草だ。
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何時までも光っているのは、露草。そのそばに、幼稚園に通うトカゲ
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自分を育てている、地域にも感謝できればと思う。
自らの幸せだけでなく、地域との共生にも、価値をおきたい。
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小さな村の「ものがたり」 [世紀の大事業]

hajimari1.JPGトンビの「あゆ」ちゃんは、もちのきハウスの上空に飛んできました。風に吹かれ、笹間渡上空をスイー、スイと飛んでいます。







tiisanamura1.JPG現在の島田市川根町笹間渡です。平地の中心に見えるのが川根温泉です。








dengon4.JPG平成6年に、SLの見える温泉が思い掛けなく自噴した昭和20年代の笹間渡の写真です。(伯父さん撮影)
人家は、山のすそに点在し、村の道路も山すそに沿って、曲がりながら通っています。
400年から500年前には、広く見える平地の部分は、笹間川が流れていました。


大井川より、むしろ笹間川の恵みと試練よって育てらてきた村、笹間渡と言う名前の由来がわかる気がします。

dengon5.JPGこの写真は、大井川の河原から、笹間川の今大井川への合流点、渡を写したものです。
この地を切り開いて、流れを変えた地点だと信じられるような写真では無いでしょうか。
そんな気持ちになって、前の写真をもう一度見てください。半島の狭い部分を切り割って、大井川に水を流し、その下流部を耕地に変えました。
これは、多くて25軒、120人足らずの村人が総出で行った世紀の大事業では無いでしょうか。
現在のように機械も無く、ノミの手掘りで岩を崩し、水の流れを変えたのです。
行われた時代は、寛永10年前後(1633年)、言わば「寛永の瀬替え」。
これは、戦国時代末期から、江戸時代にかけて行われた、治水工法の一つ。天正18年(1590年)には、大井川でも、相賀地点で、島田市側に大きく流れを変える「天正の瀬替え」が行われた。
 
笹間川は、無双連山に源を持つ、延長20キロの大井川の支流で、寸又川と共に支流では大きい川です。

dengon7.JPGこの写真は、子供の頃水泳場の大日淵で、東海パルプの笹間渡発電所への吊り橋が見えます。
笹間川には、入り江淵、女淵、大五郎淵と河童の住むと言う淵がありました。オヤジによれば、水深、大きさで、人を寄せ付けない気味悪いところ。立入り禁止の意味の民話だと。



dengon8.JPGこの図は、9月下旬になると、笹間川の渡にかけられた、落ち鮎のやなです。オヤジと二人でやな当番をした時、ちょうど雨が適当に降り、たくさんの鮎がやなに落ち、拾うのが大変で、各戸に配分した気分がよかったことを今も覚えています。




dengon6.JPGこの写真は、よりウグイを取って喜ぶ、オヤジと仲間たちです。笹間川の楽しさを満喫した最後の村人達かナーと思います。






dengon11.JPGオヤジが製材業をやっていたので、笹間川最後のいかだに乗せてもらいました。

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dengon1.JPGこの小さな村の八幡神社です。
寛政3年(1462年)創建、静岡県神社誌、駿河記による。室町時代。
547年前にどんな気持ちで、どのようにして、この神社を小さな村に造ったのか。
笹間川の流れを変える仕事より、前に行われたとの事だが。謎は、残っている。




dengon10.JPG昭和初期の頃まで元お寺のあった登り口付近にあった高札場。
昭和5年に大井川鉄道が笹間渡をとうり、2回目の村のはじまり。笹間渡発電所も営業。






現在、世界同時不況、そのスピード、広さ、深さで、100年ではなく、史上初めて。
しかし、大切なことは、困難な状況の中でこそ、次の世代に役に立つことを、力を合わせ、着実に実現することが大切なことを小さな村の歴史は示しています。
世紀の大事業に参加できた人々は幸せではなかったのか。繋げていく事のなかに満足感があるのではないか思います。
           


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