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修善寺 夜叉王? [地域の履歴]

                  北条政子は悪女か?

修善寺温泉に二泊したら、少しこの地域の履歴が見えてきました。
修善寺をお参りし、瑞宝蔵に入ると、修善寺物語の原作となった物悲しげな「古面」と対面

修善寺の沿革から取り出した言葉
     弘法大師・真言宗・蘭渓禅師スパイの疑い・臨済宗へ・畠山国清の謀反で戦禍、
     大火災で全焼
     北条早雲(後北条・伊勢宗瑞)により再建、曹洞宗へ 
         なぜ、戦国武将の先駆けと言われる後北条早雲が再建しようとしたのか。 
             政子の悲しみ、弘法大師の教えに感動、自身の人生で共感



陰に隠れるようにひっそりとある二代将軍 源頼家のお墓
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北条政子さんは日本三大悪女、鬼嫁と言われています。
私も今回の訪問前は何となくそんな気がしていました。

しかし、修善寺、日枝神社、源頼家のお墓、指月殿を二日間、見て回り、考えました。
その時代の状況の中、
 しっかり自分の役割を果たそうとした結果、あのようなことになったのかなーと思い立ちました。
人の心の中には、夜叉王も微笑みの心も共に住んでいて、その置かれた状況により出てこざるを得ない。できるだけ、ほほえみの出番が多いように知恵を出すこと。

         皆様も、ぜひ、そんな景色の履歴をお楽しみください。

弘法大師が建立した寺を守るため日枝神社が建てられ、明治までは神と仏は一緒。それはなんの不思議もない。
     修善寺温泉は人が生きる時代の流れと人の心の葛藤を知る素敵な場所ではなかろうか。
     修善寺をスタート地点として、伊豆の国をめぐる旅がスタートします。
     北条家を中心とした地域の履歴が伊豆にはちりばめられている。

時代状況
伊豆の地域的条件・北条家と源氏・公家支配から武士へ、律領の法の支配から実力の時代へ

歴史的事実

鎌倉幕府の源頼家が18歳で二代将軍となり、23歳で入浴中に、母方の北条家のものに殺されてことに、北条政子が母として悩んだ様子が残されている。

修善寺の寺には、北条政子が奉納したとされる大日如来が鎮座している。その神社を守るため創られた日枝神社の境内にはその歴史を表す素晴らしい木々が残ってくれている。syuzennji1.jpg

母の北条政子が息子の悲運を弔うためその墓のそばに建立したといわれる指月殿

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