SSブログ
引き継ぎたいこと ブログトップ

退職後15年 [引き継ぎたいこと]

退職後15年が経ちました。

退職直後 故郷の土地・茶畑をどうしていくか。緊急事態。
迫られる中、茶畑をやめ、土地を埋め立て、小さなもちのきハウスを建てることにしました。


taisyokugo1.jpg

この写真に見える、我家の守り神もちのきと母が購入した石が残されていました。

taisyoku5.jpg

てんとう虫も見られます。



taisyoku6.jpg

当時の請負業者さんが、長い間どこかのお宅を守っていた石垣の石を移築してくれました。
何か,石も落ち着いたような感じです。


taisyoku8.jpg
埋められた茶畑から緊急避難したらしいお茶の木ががんばっています。我家との境に


taisyoku7.jpg

台風にやられた栗は今年も精一杯花をつけました
nice!(0)  コメント(0) 

明治維新150年・戦後75年 [引き継ぎたいこと]

昭和から平成への改元は、突然であり、緊張の中で行われた感じでした。

何とか,令和への改元は心の準備をして、積み重なっていく生活のスタートであってほしい。

父の遺言は、故郷に何か新たな産物はないのか。従来のお茶、椎茸、材木だけではふるさとは支えられなくなっている。

そんな課題に、何か貢献できないかと13坪のもちのきハウスを平成16年5月建設し、15年を経過しようとしている。


写真の手前に見えるのがもちのき、昔の我家を山崩れから救った、我家の神木
石は、母がへそくりで購入、母が亡くなりしばらくたったある日、もう一つ買わないかと業者が訪問しました。
遠くに見える家屋が、もちのきハウス
kaigenn3.jpg


もちのきハウス内には、祖父の虎蔵が私に与えた仙人像?母がい受け継いだ掛け軸などが残っている。
kaigenn4.jpg



kaigenn5.jpg




つつじの花とスズランみたいな花が静かに咲いている。
kaigenn1.jpg




kaigenn2.jpg


明治維新150年・戦後75年

 明らかになったことは、
         日本だけの独自なものは少ない、多くの国の世話になり、いいとこどりの生き方
              
                  共通点とそれでも違いがあることを楽しむ

 世界共通なことは、
      
         お互いに、自分の目で、頭で、そしてできれば現場を見て、確認して生きていく覚悟

     

    いよいよ、改元、心を呼び出す飲み物、 急須で味合う、新茶の季節です。

            

   
nice!(0)  コメント(0) 

台風24号の置き土産 [引き継ぎたいこと]

立冬を過ぎ、小雪・大雪を経て、正月準備を始めた。
冬至に向け、寒さが加速している。

ようやく台風24号の置き土産を片付け終えた。
      栗、柳の古木は一撃だったようだ。ダムにある山の立木も崩れたらしい。

taifu5.jpg


工場跡地の茶畑を県道拡幅に伴い、再整備してできた、もちのきハウス。
          建ててからもう10年近くなる。

敷地内には、イノシシか鹿の家族連れが毎年来るようになった。
今年は、入り口近くの柿木の前までその足跡がいくつも残されていた。
    野生と人間界の接点

taifuu1.jpg


    野にある草花の色は 深い。

 ナンテンの美の赤が太陽の光に鮮やかだ。藤枝のと違う。
taifu2.jpg

水仙の花も何か力強い白色だ。
taifu4.jpg


母が買った庭石の前に私こそ主役と紫色の花が咲いた。淡いいい暖かい紫色だ。
taifu3.jpg

柿の原種の山柿がひょこり見つかった。
家内は寒いとき来なかったから10年も見なかったのではと言う。
私は、24号台風のお蔭かなーと思っている。

taifu6.jpg

taifu7.jpg

 それにしても不思議。 又、山柿が見れるとは。

       私は古柿と教えられたような気がする。
nice!(0)  コメント(0) 

お盆 [引き継ぎたいこと]

ふるさとの共同墓地

江戸時代からの先祖が眠る。私も祖父、祖母、父、母など、を見送る。

obon1.jpg


村を、大井川、笹間川を望む実に晴ればれする場所に共同墓地はある。

obon2.jpg


obon4.jpg


obon5.jpg


長い旅をしているアサキマダラも一休み

obon3.jpg

季節はめぐる。夏を惜しみ、ひまわりが咲く。
obon6.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

春よ来い [引き継ぎたいこと]

             28年4月ブログ再開

春よ来い。
チュリップが咲き始まました。
花の回廊がつながっていきます。
島田市の総合戦略骨子案では、川根地域の人口はこの推移すると、
      2015年 5230人から1413人へ 稼ぐ産業は何か

haru5.jpgもうすぐ、咲きます。黄色は春の色。











haru1.jpg











haru2.jpg

haru3.jpg
haru4.jpg




機関車トーマスは笹間渡の鉄橋を颯爽と走ります。地名まではそうしないと、戻ってきますから。
クリスマスの日、故郷を走るトーマスを静かに見ていました。故郷で過ごした子供時代を思い出し、私にとって素晴らしいクリスマスの日となりました。

haru6.jpg







急須でお茶を 茶殻の解決 [引き継ぎたいこと]

ペットボトルで緑茶を
しかし、急須で一日に一回は飲んでほしい

その願いの実現のため、開発を実践

まず、100円ショップSeriaでザル購入


tyakyukyu1.jpg

13センチ、なんと日本製燕市(有)みどり産業製造元 奇跡

これを使って、使用後のお茶の葉の水切りをする。早くお茶が出るように深蒸し、葉を切ってあるせいか、
飲んだ後の茶殻が汚い。新芽なのになー。


tyakyuukyu2.jpg




tyakyuukyu3.jpg


昨日は天気が良かったため、茶殻がカラカラになる。成功。今日は雨のため、どろどろ。失敗



tyakyuukyu4.jpg

急須では優れもの,葉が急須の中で回転して、よく出るもの


tyakyuukyu5.jpg

出雲大社にお願いに行ったとき、目に留まり買ってくる。子供たちには、買って渡す。


白富士 み~つけた! [引き継ぎたいこと]

二つの山の間に見える白い富士     自宅付近から見える(藤枝市高柳下町内会)



fuji4.jpg地元の旧家の仲間に聞くと、小学校の時二つの山の間に富士さんの在る絵を何度も描いたとのこと










高洲中付近から見る富士


fuji3.jpg



三保の松原から見た、海の波、松原を含む富士が世界遺産に!

富士さんは 信仰の対象と芸術の源泉



今ではちょっとしか富士さんの見えない高柳にも富士浅間神社があった。


高洲村史によると平安時代(1044年)今から969年前。現在は高柳神社に合祀されているが、元は高柳上の養源院の西100メートルのところにあったと伝えられている。








焼津市木屋川付近からの富士  


fuji2.jpg








fui1.jpg





自然に溶け合って、共に生きる。生き物としての祈りの道。
 沢山の神様と仏様、先祖を大切にして、しかし今を一番大切にする。


そんな、明治維新、敗戦占領を経て残った気持ちを再確認して、世界に貢献していく時代では


100年ぶりの神社を再建し、その建設委員会に参加することができました。
平成24年9月30日竣功・神様 木之花咲耶姫命をはじめ6神


jinnjya1.jpg






          朝顔につるべ取られてもらい水

山の木は、誰のもの [引き継ぎたいこと]

山や木は、誰のもの? 

siznkann1.jpgそれは、木を植えた人のもの。
お金を出して、植えてもらった人のもの。
それが、当り前でしょうか。














sizenkann2.jpgそんな気がしますが、そうなったのは、実は134年前からです。
近代化以前には、(明治11年以前)「公私共利説」と言われ、領有する公権と利用する住民の私権が共存する関係で、公物である利用は、共同ですべきものでした。
平安時代には、山の木の私有を禁ずる「禁令」が10回以上も出ていると言う。


近代化を目指し、明治11年(1878年)地租改正がおこなわれ、山や木は、所有者が決められ、現在のようになりました。




 山は降り注いだ雨を溜め、防災の役目をはたしながら、沢に水を集めおいしい水を生み、様々な動植物を養う役目をはたしています。

sizenkann3.jpg



この山の役目をキチンと果たしてもらうためには、
むしろ現在の私的所有権による山管理の在り方より、

山についての認識を、近代化以前の「公私共利説」の考えに一部戻すべきではなかろうか。

山での作業こそ、大飯ぐらいの力持ちの時代から

人間の深い経験と知恵にもとずく「山の知識の再構成」により、考え方を変えるべきではなかろうか


木材産業としての一つの時代が終わった現在、
皮肉にも、山仕事に集材機など機械が補助金で導入されています。
他の産業の近代化、機械化が進む中、木材産業特に山仕事には、その歩みは、鈍いものがありました。
やっとチエンソーが戦後導入されたら、振動による労働災害みたいなものがあり、又外材との競争に負け機械化が進みませんでした。
山の作業は、厳しい現場のまま残されました。



sizenkann4.jpg

山は、水を生み、防災の役目を果たし、動植物を養うだけでなく、人々に次の大切な役目を果たしていると思います。

      日本人の自然に対する基本的感情を実感する経験の場を提供すること。

全国各地にかってあった「水のつながり」を回復する活動をしませんか。
     ネットこそ、その舞台を提供してくれるものと思います。












続きを読む


小さな村の祈り(大日の大杉) [引き継ぎたいこと]

エコポイントが話題になり、エコの車、テレビの電化製品を買うことなどが関心を呼んでいます。これらのことも大切なことだと思います。
しかし、エコの最終目的は、人間中心になり、快適な生活を求めすぎた日本社会が現下の大変革の中、自然と共に生きる方途を探ることでは無いでしょうか。
一年に一度ぐらいは、山林や川を訪ね、田んぼを見て生き物の息使いを実感し、そして、これからも環境守り人になるか迷っている最後に残った山村の人々を支援することではなかろうか。私は、それをエコだと思います。

dainichi1.JPGこの写真の杉は、村の背戸の山道を登って行った山頂に立っている大杉だ。大日の大杉と言われています。
少なくとも大井川鉄道が敷設される昭和4年以前からあり、何百年と立っているのだろう。小さな村の風景の履歴を見て来たのだ。












dainichi2.JPGdainichi8.JPG

dainichi5.JPGこの杉の根元には、写真のような自然石の祈りの石が安置されており、そのそばには、香花らしきものが添えられていました。この石と長崎、五島列島の福江島の教会に在った、隠れキリシタンの人々のご神体と似ています。







dainichi6.JPG dainichi7.JPG
dainichi4.JPG大日の大杉からの眺めです。大日と名前をつけたことがわかる気がします。








dainichi3.JPG川根温泉から見上げた大杉の写真です。写真の右側の空と山の間にちょっと高く見える木です。大日の大杉は今でも川根温泉を訪れる皆様やSLの写真を撮るに来る来る皆様を見守っています。







山や川で過ごす、何気ない時間は、脈々と流れている日本の伝統的自然観を呼び起こしてくれるのではなかろうか。その実感の中から得られる、生きている実感こそ、人としてのやさしさ、勇気が生まれてくるのではと思います。
そんな大切な時間を提供してくれる空間を次の時代にも残し、引き継いで行きたいと大日の大杉に願っています。

引き継ぎたいこと ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。