SSブログ
地域の履歴 ブログトップ

一枚の写真 [地域の履歴]

一枚の写真

わが家から見える丹精込めた田んぼの風景  実りの秋

          黄金色

  hakuro4.jpg

この風景は貴重になっている。


     すぐに見に行った方がいいですよ!


itimai2.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

紀伊国屋文左衛門? [地域の履歴]

紀伊国屋文左衛門の茗。 藤枝市田沼海道沿いのお墓の隅に見つけた。
これは何か・・・・確かな資料が少なく、架空の人物かも。江戸時代の豪商。興味深々。


kinokuniya1.jpg

報告の出だしは、こんなぐあいでした。
友人と自転車で木屋川下りを計画。栃山川より分かれる明誠高校付近広切橋ふもとからスタート。焼津・小川港へ。帰りは海岸堤防を走り、栃山川に沿い、田沼街道まで来て、初めに書きました、紀伊国屋文左衛門の記念碑を見て終わり。

詳しく知りたい方は、ぜひ左に表示されているリンク集 大井川楽心園をクリックしてください。




なぜ、私が紀伊国屋文左衛門に注目するのか

明治10年に地元の大富豪が拡栄社を設立。木屋川を使い、大井川奥と小川港の船便を計画し、各地の産物を流通しようとした。これは明らかに、紀伊国屋文左衛門のチャレンジに誘発されたものと思う。
地域に仕事を生み出すために、このような地元のチャレンジを知り、局地的市場の深ぼりの、目標としたい。

修善寺 夜叉王? [地域の履歴]

                  北条政子は悪女か?

修善寺温泉に二泊したら、少しこの地域の履歴が見えてきました。
修善寺をお参りし、瑞宝蔵に入ると、修善寺物語の原作となった物悲しげな「古面」と対面

修善寺の沿革から取り出した言葉
     弘法大師・真言宗・蘭渓禅師スパイの疑い・臨済宗へ・畠山国清の謀反で戦禍、
     大火災で全焼
     北条早雲(後北条・伊勢宗瑞)により再建、曹洞宗へ 
         なぜ、戦国武将の先駆けと言われる後北条早雲が再建しようとしたのか。 
             政子の悲しみ、弘法大師の教えに感動、自身の人生で共感



陰に隠れるようにひっそりとある二代将軍 源頼家のお墓
syuzennji4.jpg


syuzennji7.jpg




syuzennji8.jpg


syuzennji3.jpg
北条政子さんは日本三大悪女、鬼嫁と言われています。
私も今回の訪問前は何となくそんな気がしていました。

しかし、修善寺、日枝神社、源頼家のお墓、指月殿を二日間、見て回り、考えました。
その時代の状況の中、
 しっかり自分の役割を果たそうとした結果、あのようなことになったのかなーと思い立ちました。
人の心の中には、夜叉王も微笑みの心も共に住んでいて、その置かれた状況により出てこざるを得ない。できるだけ、ほほえみの出番が多いように知恵を出すこと。

         皆様も、ぜひ、そんな景色の履歴をお楽しみください。

弘法大師が建立した寺を守るため日枝神社が建てられ、明治までは神と仏は一緒。それはなんの不思議もない。
     修善寺温泉は人が生きる時代の流れと人の心の葛藤を知る素敵な場所ではなかろうか。
     修善寺をスタート地点として、伊豆の国をめぐる旅がスタートします。
     北条家を中心とした地域の履歴が伊豆にはちりばめられている。

時代状況
伊豆の地域的条件・北条家と源氏・公家支配から武士へ、律領の法の支配から実力の時代へ

歴史的事実

鎌倉幕府の源頼家が18歳で二代将軍となり、23歳で入浴中に、母方の北条家のものに殺されてことに、北条政子が母として悩んだ様子が残されている。

修善寺の寺には、北条政子が奉納したとされる大日如来が鎮座している。その神社を守るため創られた日枝神社の境内にはその歴史を表す素晴らしい木々が残ってくれている。syuzennji1.jpg

母の北条政子が息子の悲運を弔うためその墓のそばに建立したといわれる指月殿

syuzennji6.jpg



syuzennji5.jpg




syuzennji2.jpg

川と温泉 [地域の履歴]

onsen3.jpg


島田市によって、島田市川根町笹間渡川根温泉に本格的ホテルが平成26年7月1日オープンする。
これが、川根地域の活力へのスタートになり、大井川の水のつながりへの回復になればと願う。
わたしもその一翼を担えればと活動したい。

    この温泉は、大井川と笹間川とサッカ沢などの水が地下に溜まり、温められて出てきた水。
    大井川、笹間川の約30年間のほとんど水無しの川の後、ちょっと戻った川の水が溜まり出てきた水。
この村には、約550年前(1462年)創建の八幡神社がある。平家の落人伝説のある笹間村から川を下   ってきた人々と甲斐の武田の落人が協力して造ったと伝えられている。
    この温泉は、SLだけでなく、大井川の水とすごく関係した温泉であることも是非味わってほしい。



tiisanamura1.JPGdengon4.JPG

写真左が現在の笹間渡村の全景。右が昭和25年代の姿。温泉の施設が村の平らな部分の大部分を占めている。この土地は、先人の笹間川の江戸時代の瀬替により作り出した平地。

dengon1.JPG 村の八幡神社
地域の履歴 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。