冬至 [おしゃれな仲間たち]
今日は冬至
夜が一番長く、昼間が短い日。
冷たい、小雨が朝から降っている。
頑張っている、日日草。ついに花を咲かせる。
玄関先の特別な場所、今年も正月の準備、葉牡丹が鎮座
この場所は、先々代の日日草が咲いていた場所。
この写真の、右側に日日草の姿が小さく映っている。
夜が一番長く、昼間が短い日。
冷たい、小雨が朝から降っている。
頑張っている、日日草。ついに花を咲かせる。
玄関先の特別な場所、今年も正月の準備、葉牡丹が鎮座
この場所は、先々代の日日草が咲いていた場所。
この写真の、右側に日日草の姿が小さく映っている。
台風24号の置き土産 [引き継ぎたいこと]
立冬を過ぎ、小雪・大雪を経て、正月準備を始めた。
冬至に向け、寒さが加速している。
ようやく台風24号の置き土産を片付け終えた。
栗、柳の古木は一撃だったようだ。ダムにある山の立木も崩れたらしい。
工場跡地の茶畑を県道拡幅に伴い、再整備してできた、もちのきハウス。
建ててからもう10年近くなる。
敷地内には、イノシシか鹿の家族連れが毎年来るようになった。
今年は、入り口近くの柿木の前までその足跡がいくつも残されていた。
野生と人間界の接点
野にある草花の色は 深い。
ナンテンの美の赤が太陽の光に鮮やかだ。藤枝のと違う。
水仙の花も何か力強い白色だ。
母が買った庭石の前に私こそ主役と紫色の花が咲いた。淡いいい暖かい紫色だ。
柿の原種の山柿がひょこり見つかった。
家内は寒いとき来なかったから10年も見なかったのではと言う。
私は、24号台風のお蔭かなーと思っている。
それにしても不思議。 又、山柿が見れるとは。
私は古柿と教えられたような気がする。
冬至に向け、寒さが加速している。
ようやく台風24号の置き土産を片付け終えた。
栗、柳の古木は一撃だったようだ。ダムにある山の立木も崩れたらしい。
工場跡地の茶畑を県道拡幅に伴い、再整備してできた、もちのきハウス。
建ててからもう10年近くなる。
敷地内には、イノシシか鹿の家族連れが毎年来るようになった。
今年は、入り口近くの柿木の前までその足跡がいくつも残されていた。
野生と人間界の接点
野にある草花の色は 深い。
ナンテンの美の赤が太陽の光に鮮やかだ。藤枝のと違う。
水仙の花も何か力強い白色だ。
母が買った庭石の前に私こそ主役と紫色の花が咲いた。淡いいい暖かい紫色だ。
柿の原種の山柿がひょこり見つかった。
家内は寒いとき来なかったから10年も見なかったのではと言う。
私は、24号台風のお蔭かなーと思っている。
それにしても不思議。 又、山柿が見れるとは。
私は古柿と教えられたような気がする。
野生とは [自然とは]
小雪の時期地獄谷野猿公苑に行ってきました。
雪の中、ほっこりと露天風呂に入っている野猿とは違う一面
何か、野猿に見られている感じでした。
杉並木の比較的平らな山道を約2キロ、ゆっくり30分ぐらい。
山村育ちの私には、歩きやすい道でした。
しかし、雪国育ちでない、わたしには、雪を踏みしメて歩くのは、かなりの困難さが予想される道。
ほっこりした野猿にお会いするのには、なかなか覚悟がいるようです。
是非、インターネッとのライブカメラが設置されていますので、雪が降る中露天風呂を楽しむ野猿・野生を!
ちょうど餌やりの時、次々と山を下ってくる猿の集団に野生を感じました。
まだ雪は降らず、野猿たちにとり、露天風呂より山の中にもっと良いところがあるみたいです。
見学者は外国の方が大変多かったのですが、日本人の私にとっても何か感じました。
餌を求めて、次々と駆け下りてくる、猿の集団、こちらにも、あそこにも、ズボンに触りそうなところを疾風のごとく駆け抜けていきました。何か野生の風を感じた、不思議な時
野生界と人間界の堺が人間の努力不足で、はっきりしなくなってきた状況。
自然と溶け合って、多くの神をそこに見出してきたわたしの心は、どう対処したら
明治以降、科学技術の知恵を獲得した我々は、
人間の責任として、野生とのあり方を自然に神を見出す心を含め
総合的な視野から対処を考えたらと思う。
これは、世界と共有でき、貢献できる道なのではないか。
雪の中、ほっこりと露天風呂に入っている野猿とは違う一面
何か、野猿に見られている感じでした。
杉並木の比較的平らな山道を約2キロ、ゆっくり30分ぐらい。
山村育ちの私には、歩きやすい道でした。
しかし、雪国育ちでない、わたしには、雪を踏みしメて歩くのは、かなりの困難さが予想される道。
ほっこりした野猿にお会いするのには、なかなか覚悟がいるようです。
是非、インターネッとのライブカメラが設置されていますので、雪が降る中露天風呂を楽しむ野猿・野生を!
ちょうど餌やりの時、次々と山を下ってくる猿の集団に野生を感じました。
まだ雪は降らず、野猿たちにとり、露天風呂より山の中にもっと良いところがあるみたいです。
見学者は外国の方が大変多かったのですが、日本人の私にとっても何か感じました。
餌を求めて、次々と駆け下りてくる、猿の集団、こちらにも、あそこにも、ズボンに触りそうなところを疾風のごとく駆け抜けていきました。何か野生の風を感じた、不思議な時
野生界と人間界の堺が人間の努力不足で、はっきりしなくなってきた状況。
自然と溶け合って、多くの神をそこに見出してきたわたしの心は、どう対処したら
明治以降、科学技術の知恵を獲得した我々は、
人間の責任として、野生とのあり方を自然に神を見出す心を含め
総合的な視野から対処を考えたらと思う。
これは、世界と共有でき、貢献できる道なのではないか。